「良かれと思って」が仇になるとき。
2017年11月10日
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自分が誰かに何かを頼んだ時、頼んだこと以外のことをしてくれたとする。
それは時にありがたいし、時に困ることもある。
今日、そんなことがあった。
私は頼んだことをそのまましてくれれば十分だったし、頼んだことをそのまましてくれることを心から望んでいたんだけど、頼んだ相手は「良かれと思って」それ以上のいろいろを用意してきてくれた。
自分だったらどうだろう。
「頼まれたこと+α」をするのってむずかしいと思う。
その人が望んでいることの先を読むということは想像力が必要だし、+αをするなら頼まれた期間内でないと意味がないと思う。
頼まれたことを完璧にできた上で、余裕があったら+αをしてもいい。くらいに思っている。
そう思うようになったのは、自分が、「頼んだものだけでよかったのに」「頼んだこと以上のことをしてくれて助かった」という、どちらの立場も経験したからだと思う。
今日の私は、頼んだことだけをして欲しかった。頼んだことが私の最大のおねがいだったから、+αは存在していなかったと言ってもいい。
それを、受け取り側の解釈で、「良かれと思って」足されることは、ちょっとつらかった。
一言相談してくれれば、私が何を一番望んで頼んでいるかを伝えられた。
そういう自分がわがままなのかと思って落ち込むし、受け取り側の「良かれと思って」のおかげでこちらはいろいろ考えなくてもいいことまで考える時間が必要になってしまった。
「感謝する気持ちはないの?」という自分も一方でいる。感謝はしている。
大変なのにそこまでしてくれて、ありがとう…。と。
でも、頼んだ側が何を大切にしているかは、受ける側は慎重に観察する必要があると思うのだ。
- 「この人はいそいでこれをしてほしそうだ。頼まれたことをやるのが最優先だ。」
- 「この人は頼んだこと以外にも何かしてほしそうだ。ちょっとだけ+αしてあげよう。」
どちらも相手を思う心があるから悪いとは言えないけれど、きちんと見極めないといけない。
私はそれで、相手に対して少し信頼を失ってしまった。
「頼んだことだけでいいからね」と言ったにもかかわらず、それ以上のことをしてくれたから。
せっかくやってくれたのに、素直に受け取れないのも悲しい。
だから、相手の話を聞き、感じ取り、正確に受け取ることはとても大事なことだと思う。
自分が頼まれる側になったときも、気をつけようと思った。